鈴木 スピルバーグの闇というのは、かくも深いものだったのか。とにかく怖い。怖すぎる。映画を観て心から怖いと感じたのは何年ぶりだったか。あまりに凄惨な描写の連続から来る強烈なカタルシスの波は、観客に恐怖の涙さえ流させない。目を覚ますことの出来ない悪夢を見ているかのよう、といっても決してダテではない。 いや、よぅくわかる。あのオチはもっとどうにかならなかったのかという批判は。しかし私は、それがどうでもよくなるぐらいラスト10分前までの血みどろの嵐に翻弄されていたのだ。スピルバーグは、虫けらのように逃げまとう人間たちをただ描きたかっただけで、最後に助かろうが助かるまいがどうでもよかったのではないか、と私は思っている。私は、この映画が完膚なきまでに絶望的な恐怖を描き切っているというそれだけで満足した。 スピルバーグは、徹底的な恐怖を下地にすることで顕著になる、人間の弱さや社会的問題の病巣などを手玉に取るように描写している。車を奪われるシーンでの銃の扱い、アメリカのヒロイズム、戦争に対する視線・・・それらが次々と立ち現れては、圧倒的な脅威の前ではどうでもよくなり、たちまち雲散霧消してゆく。そう、すべては元からどうでもよいことなのだといわんばかりに。 「宇宙戦争」というタイトルはたいそうな皮肉で(宇宙?なのかはともかく)、戦争といっても、この映画に描かれているのは、ひたすら被害を受ける側としての戦争だ。スピルバーグは、どうしてこうも被害者側からの戦争を描くのがうまいのだろう。しかし、スピルバーグはつねに観客を何かに追われる身に追い詰めることで、混じりけのない純粋な恐怖を掻き立てるというスタイルをとり続けてきた。考えてみれば、スピルバーグの映画を思い返してすぐに思い浮かんでくるのは、つねに何かに追われる人たちの姿である。大型トラック、鮫、転がってくる大岩、ティラノサウルス・・・そして「宇宙戦争」は、まさにそうしたスタイルの集大成と呼ぶにふさわしい終末映画である。 ラストが甘いなどと言ってはいられない。「人間はこの先、生きていく覚悟が出来ているか!」この映画は、究極の絶望の中で人間が行き着く先を描くことに成功したスピルバーグが放つ渾身の問題提起に違いないのだ。
by chuoeiken
| 2005-07-16 01:19
| SF
|
カテゴリ
以前の記事
2020年 07月 2012年 07月 2008年 01月 2007年 07月 2007年 05月 2006年 11月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 リンク
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|