「映画」とは何か?という問いの答えのヒントが、この作品の中にある。音と映像とストーリーがマッチした瞬間、映画は他の芸術では成し得ない現象を生み出す。その現象の意味が『八月の狂詩曲』で、分かりやすい形で明示されているのである。 主人公は、長崎の原爆を経験した老婆である。老婆とその孫を通して、物語は進んでいく。老婆にアメリカに住んでいる兄がいることが分かる。その兄の子で老婆の甥に当たる男が訪ねてくる所から、この物語の「意味」が分かり始める。すなわち、老婆の心の奥底に秘めた感情が明らかになっていくのである。とても、悲しい映画である。老婆は全てを認め、許しているかのように思われた。しかし、「ミタ」人間にしか分からない本当の悲しみは消すことが出来なかったのだ。その悲しみが、映画でしか表現できない形で溢れ出てくるのである。 黒澤は原爆に対して若いころから、老年に至るまで怒りを抱き続けていたようである(『生き物の記録』、『夢』を観ればそれが分かる)。『八月の狂詩曲』で静かに爆発したその怒りは、このまま原子力を使い続ければいつか人間を滅ぼす、という認識からきたのであった。 三橋 慶太
by chuoeiken
| 2005-11-08 13:23
| 社会派ドラマ
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