去年の夏にこの映画はすでに観ました。ただそのときは、この映画の目くるめく奔放なイマジネーションの嵐に翻弄されるままになってしまい、改めてDVDで内容を確認したかったんです。でも初めて観たときの印象と大して変わらなかった。ストーリーはものすごく単純です。主人公があの世から戻ったり、クジラに飲まれたりといった急展開があるにしても、昨今の小難しいSFアニメに対する皮肉なんじゃないかってくらい下世話で日常的なテーマの映画。最新鋭の技術を駆使したアニメーションに吉本興業のコテコテな大阪のノリを合わせるなんて、過去に誰が思いついたことでしょう。 この映画にアニメの可能性を感じた、という人がいます。僕もそれを感じましたが、少なくとも画面のクオリティの高さを讃えてのことではありません。いまさら技術の高さを誉めたってすでに言い尽くされてる。僕がこの映画をすごいと思ったのは、なんというか、画がすごく「生(ナマ)」の質感にあふれてるからです。クリエイターの人がパッと思いついた画を加工せず、そのままフィルムに移したような感じ。だからすごく荒削りながらもナマの躍動感に満ち満ちているんです。原画を丁寧に丁寧に加工するのが本来のアニメと思っていただけに、この映画の技術の使い方は不意打ちといわざるを得ない。材料本来のおいしさを出し尽くせているというか、こんな使い方もありなんだ、と。 実写では出し切れない躍動感でもって登場人物の心情を原子レベルまで表現できる!僕がこの映画を評価したいのは、映像的な面ではなく、精神的な面においてであり、その意味で僕はこの映画にアニメの可能性を感じた、と言いたいのです。 鈴木 画は確かにすごいけど、脚本が平坦じゃないか?という批判も聞きます。確かに、僕もそれは思います。特にクジラに飲まれてからの展開がのんびりすぎじゃないかと。しかし、そう思わせるのも製作者の手だったのではないかと思いました。どういうことかというと、この映画は、最新型のモラトリアム映画だと感じたのです。クジラの体内は、社会に旅たつ前のさまざまな人たちの避難所、つまり、大学であるとか、バイト生活であるとか、そういったもののメタファーだと思いました。そういうのんびりした場所は、クジラの中のように穏やかで快適だとしても、地上ほどカラフルで楽しく、波乱に満ちた場所ではない。主人公が生き返り、ようやく話が乗ってきた矢先に薄暗いクジラの体内に話の舞台が移るという展開は、観客にカラフルな地上への恋しさを喚起させるためだったのではないかと思ったのです。 いやしかし、クジラの中で登場人物たちは本当にのんびりと過ごしていたか?みんなが思い思いに自分を見つめ、悩んでたじゃないか。彼らがクジラから脱出できたのは、まさに自分を信じて、のびのびと、まっすぐに過ごしたからじゃないでしょうか。僕は今の大学生活に安住しきってはいまいか、と身につまされるとともに、クジラからの脱出シーンのすさまじさを見ながら、社会へ巣立つことも、これと同じくらい大変なことなのか、と感じずにいられませんでした。 「バカは死ななきゃ直らない」・・・まさに西くんのためにあるような言葉ですが、生き返った後の彼は馬鹿力でもって動いている。しかし少なくとも彼は、後悔する生き方をするようなバカではなくなりました。「バカは死ななきゃ直らない」という言葉は、「死んで後悔するくらいならバカになれ」とも言い換えられるのではないでしょうか。まさにこの映画は、この言葉の意味するところを、馬鹿力の筆致でもって体現したのです。
by chuoeiken
| 2005-01-23 01:42
| アニメーション
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