エレファント
b0040244_19284117.jpg 僕が真っ先に感じたのは、人がひとりで歩く姿は、なんと絵になるんだろうということだった。
                          鈴木



 カメラの動きが秀逸だ。一定の距離を保ちながら、登場人物の背中をカメラが追う。登場人物が一人で歩く背中は、なんと孤独なんだろうと感じた。確かに周りに人はたくさんいるのに、誰とも交わらず一人すたすた歩く姿は、部屋に一人でぽつんといる人よりも孤独に映る。前に向かって歩いているのに、ときおり視線を下に向けたり、空を仰いだりして何かしら思索にふけっているように見える姿は、この映画に限らず、現実世界でも捉えようのない詩情を覚える。いくら友達がいようとも、誰でも内なる孤独を持ち続けているんだと、身にしみて感じた。
 登場人物が3人交わる場面がある。そのとき3人それぞれの背中をカメラが追っていて、時間軸を変えながら、同じ場面をそれぞれの視線から3回繰り返して映すのだ。観たことのあるような手法だが、いやどうしてか、目が覚めるほど新鮮だった。この場面で僕は、自分にとって見知らぬ他人は一瞬の風景だし、逆もまた然りなのだと強く感じた。自分は自分の人生を必死に生きているけど、今一瞬通りかかった誰かだって、何かを歩きながらも懸命に考え、必死に生きているのだ、あと数分で終わる運命だとしても。観ないといくら言っても伝わらないが、僕はこの場面が言いようもなく切ない。一瞬の風景ひとつひとつに、たしかに燃え盛る命の奔流があるのだと思うと、切なく、気が遠くなる。
 それは乱射事件を起こした少年の心の中にも言い換えられる。誰にも少年の心の内などわからない。共犯である少年でさえ、彼の時間を完全に共有できない。どうしようもない。どうして他人を知ることなんてできよう。きっと彼にだって、自分が銃を乱射した理由なんてわからないのだ。自分が知らない間に溜めていたもやもやを、いつの間にか支えきれなくなってしまっただけなのだ。「いじめ」や「不安」なんぞで凶行に至るわけがない。
 思うに、彼は、自分と他人同士は完全に分かり合えない、ということを知りすぎていたのだ。それゆえ彼は孤独で、他人に純粋な愛を求めていたが、自分でもその表現の仕方がわからずに・・・

 他人を完全に知ることなんてできない。だからこそ、誰かと支えあわなければ人は生きていけないのだ。それでも社会は、人のことなどわかるわけがないと突っぱねて、人を孤独に追いやろうとするのか。それは決して、事件を起こした少年に対する甘やかしではない。少年の行為を単なる「悪」として放逐しても、問題は一生解決しないということだ。
 この映画から「悪」を探そうとしても、見つからない。少なくとも、目に見える悪はない。明確な答えもない。いつだって、事件はそういうものなのだろう。この作品には、紛れもない事実が存在する。しかしこれだって映画だ。いやむしろ、これこそ映画なんだ、と久しぶりに思った。
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by chuoeiken | 2005-03-22 21:18 | ヒューマンドラマ
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