なんというかもう、この映画の存在自体が「不思議」です。映画はここまで観客の肩の力を抜くことができるのか。
とりあえず、どこかへ出かけるときは、まさかのためにマッチをたくさん持って歩きましょう。言えるのはそれぐらいです。もう観るしかない。 鈴木 10年以上も前から気になっていた映画。画面では確かにとんでもないことが起こっているのに、ハラハラもドキドキもしない。かといって退屈なわけじゃない。宇宙船は出てくるのに、宇宙はひとつも映らない。なのに見た後なぜか壮大なスケール感が頭に残る。結構手が込んでいる映画なんだけど、金がかかっているのか、いないのかわからない。なんなんだ、この感覚。 映画の舞台のほとんどは、自分が宇宙人だという怪しげな男性が持っていた転送装置によって主人公2人が飛ばされたキン・ザ・ザ星雲の惑星プリュク。そこはマッチをたくさん持っている者ほど権力があるという理不尽で露骨な階級社会です。 現代社会への批判、皮肉なんだと思います。しかしこの映画ではそんな小難しいことを考えるだけ無駄です。いや、もう何も考えられなくなる。この映画を包む強烈な空気がすべてを食ってしまって完全に思考を止められてしまう。ここまで観客の頭とリンクしてしまう映画ってないです。ビデオの再生ボタンを押した瞬間、あなたの部屋は一瞬で砂漠の中です。映画に出てくる転送装置のごとく。どんな身分だろうが、砂だらけの星じゃ何の役にも立ちゃしない。悠然としたBGMとあいまって、人間はなんてちっぽけなんだろうと、つくづく不思議な感慨を覚えます。 この映画に出てくるものは、砂、砂、途中途中に現れるハリボテ打ちつけただけみたいな建物やギミック、そして砂、砂。こういう強烈にストイックな表現が、逆に強烈なスケールを感じさせます。スケールといっても、「スター・ウォーズ」のスケールとかそういうのではない。ただもう、ただもう、「世界は広い」という、どうしようもなく掴みきれない漠然とした壮大なスケール。そんなものを見せられたら、力が抜けてしまうというものです。これこそまさに、真の「脱力映画」の名にふさわしい。どんな豪勢なスペースオペラも、この映画の前ではへたれ込むしかない・・・ 薄っぺらなあまたのSF映画よ、その形だけのCG技術でこの映画のスケール感に勝ってみやがれ。
by chuoeiken
| 2005-04-04 23:14
| SF
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