はっきり言って、眠い映画。確かにすごく雄大な自然が爽やかなんだけど、デニス・ホッパーの自己満足のようで、この映画のノリについていくのは難しい。
しかしである。この映画はラスト15分からが本番だ。この映画のパッケージからは想像できない世界が確実に待っている。観ながら寝たっていい。15分前にちゃんと起きれば。 ラスト15分前にようやく始まって、突然終わってしまう。そんな感じの映画。「ボーイズ・ドント・クライ」に似てるな、とも思ったけど、いや、やっぱり何にも似ていない映画。こういう映画を撮ろうという意気は、出そうとして出せるものではないな。 イメージと反して、とても不気味な映画だ。 この映画からは、絶えず「死」と「拒絶」のイメージが連想させられる。シーンの終わりごとで、ピーター・フォンダのひどく憂鬱な表情で締めくくられるのがとても気になった。どうしちゃったの?と考えているとすぐさま明るい音楽がかかって、突然二人がバイクで爽やかに疾走するシーンに飛ぶ。 ものすごく乱暴な編集だ。観客を置いてけぼりにさせようという意図すらうかがえる。 映画はずっとそんな調子。この映画は、観客に何の説明も与えてくれない。僕は、二人がバイクに乗っては、ピーター・フォンダがひどく憂鬱な顔をして、の繰り返しをただただ観るしかなかった。観ている側はとても不安になる。この二人はどこへ向かっているのだろう? この映画がまた不気味なのは、アメリカンドリームのようなわかりやすさをイメージさせられるこの映画の外見に反して、実はとても現実的であるということだ。しつこいようだが、ピーター・フォンダの初めっから憂鬱な顔がとっくに「自由はどこにもない」ことを達観しているようで、とりつく島がないように感じる。しかし実際は、僕が勝手にそう感じていただけであって、映画が何か説教をしたわけではない。「イージー・ライダー」はただ存在するのみ。そこがまた不気味だ。 ラスト15分前、ひどく美しく幻想的なLSDの幻覚シーンが突然始まると、僕は心底怖くなった。僕は今まで何を観ていたのだろう?この映画に実体があると思い込んでいたけど、本当は幽霊を見ていたのではないか? あまりにこの映画は、地に足が付いていない。それを象徴するかのように、ラスト、ふわっと音もなく上空に浮き上がるカメラ。とても人間が映しているとは思えない。僕はそこで思い至った。僕は今まで幽霊の視線からこの映画を観ていたのだ。 この映画の存在自体が、自由という存在の実体のなさを象徴しているようだ。ふわふわ浮かんでいくカメラの、なんと非現実で自由な動きよ。主人公の二人は何にも縛られずにバイクで遍歴しているように見えるが、地面に足をつけて走るしかなかった二人に、初めから自由などなかったのだ。 軽快に走る二人のバイクは自由の象徴であるのかもしれない。しかし、乗り手がいなくなってしまえば、バイクはコントロールを失い、簡単に吹っ飛んでしまうのだ。 鈴木
by chuoeiken
| 2005-11-17 01:51
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