ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
b0040244_15463323.jpg ティム・バートン関連の映画には、常に作中にバートンの分身が存在するように見える。「シザーハンズ」のエドワードしかり、「バットマン」の動物人間たちしかり、今作の主役ジャックしかりだ。彼らに共通して言えることは、自分の世界観が、周囲と決して相容れないはぐれ者ということである。
 とは言うものの、作中、ジャックはサンタの衣装を身に包み、自分なりにクリスマスを取り入れ、解釈し、人々を楽しませようと試みる。それまでのバートン映画の主役とはうって変わって、ジャックは非常に積極的に外界とアプローチしている。これはバートンが大人になったということなのかとも見えるが、しかしこれはやはりバートン流の引きこもり映画だ。それはタイトルに現れている。
 この映画は、クリスマス映画というよりはハロウィン映画だ。しかしタイトルでは「ハロウィン」となるはずのところが「ナイトメアー」となっている。クリスマスとは違ってハロウィンは「悪」夢であるときっぱり言ってしまっているのだ。僕はこれはバートンの皮肉が詰まった開き直りであるととらえた。



 「バットマン・リターンズ」のDVDのバートンの音声解説で、興味深いコメントがあった。キャットウーマンは、分裂した人格を持っており、それを表現するためにつぎはぎの衣装を合わせたという。つぎはぎといえば、「ナイトメアー~」に出てくるサリーだ。彼女は全身つぎはぎ、縫い目が縦横無尽に張られた人造人間だ。しかし彼女は決して人格分裂者などではなく、それどころか、サンディ・クローズいわく街一番のまともな人格者だ。
 キャットウーマンが人々に受け入れられなかったのは、彼女のいた場所が人間界だったからだ。もしかしたら、もっと別の、異形の者たちが住む世界…ハロウィンタウンであるとか…だったら、彼女は適応できたのかもしれない。つぎはぎの衣装をまとった人格分裂者としてしか存在できなかったキャットウーマン。彼女がそういう運命を背負ったのは、人間が彼女にレッテルを貼ったからではないだろうか。
 サリーは自分のいるべき場所があった。ハロウィンタウンにいても彼女は異端者でなない。むしろ、人間よりも人間らしい。彼女は単に色んな部分を縫い合わされて出来上がっている人造人間であるに過ぎないのだ。おかしいところはどこにもない。それに対して、キャットウーマンはいるべき場所を間違えたサリーであると言い換えられるのではないだろうか。こうして見ると、人間界がいかに住みづらい場所であるかが見えてくる。
 誰もがお互いに個性を尊重しあえば国境はなくなる、とは思うがそうはうまくいかないのが人間の難しいところ。残念ながら、人にはそれぞれが住むべき場所というものがあるのだ。少なくとも、バートンはこの映画でそれを達観しているように見える。

 劇中、クリスマスは楽しそうなものとして描写されるが、どこか冷たい印象を受ける。それは、クリスマスタウンでは子供とサンタクロースを除いては人間の顔が映らないという意図的な描写が影響しているのかもしれないが、事実街の外には誰もおらず、ジャックが迷い込んでも誰も歓迎しない。そしてジャックは、サンタとして空を駆け巡るも、部外者であるとして、顔も見えない相手から攻撃を受ける。ハロウィン流クリスマスは人々に受け入れられなかったのだ。
 クリスマスタウンは楽しい街だが、ものわかりが悪かった。そりゃあ、生首やらヘビやらをプレゼントされれば誰でも驚くだろう(ハロウィンとしては大成功だ)。逆に僕は、生粋のハロウィン人であるジャックがクリスマスに拒否反応を示さなかったのに驚いた。闇の世界に生きる彼にとって、まばゆいクリスマスの光景は思わず目がくらむものだったかもしれない。しかし、ジャックがそうしたように、受け入れようと思えば受け入れられるのだ(彼の場合、クリスマスのイメージに対しかなり思い違いがあったようだが)。
 ジャックの住むハロウィンタウンは、おどろおどろしくはあるが、包容力があり、自由で温かなイメージがある(主にジャックを含む能天気な住民や、優しげなサリーのイメージが貢献しているのだろう)。それに対し、クリスマスタウンはその楽しげな外見と反して拒絶的な面が強いように思う。実際、クリスマスタウンは、ハロウィンタウンにはない軍隊を動員してまでジャックを追い払おうとする。はて、楽しい街に軍隊など必要あるのだろうか。
 もちろんジャックがしたことは間違っていたと言わざるを得ない。いささかいたずらの過ぎるハロウィンはクリスマスと相容れなかったのだ。先ほども言ったように、人にはそれぞれ住むべき場所というものがある。しかし、ジャックの突飛な行動がはからずもクリスマスタウンの闇の部分をひけらかす結果となった。つまり、包容力があるようで、危険因子(とみなしたもの)は徹底的に裁くのだ。

 イベントとしては過激だが根は優しいハロウィン。神聖で優しくはあるがそのイメージに対し徹底して保守的なクリスマス。お互いにそれぞれの良さというものがあるので、本当にいいのはどっち?と比較しても始まらないが、少なくともクリスマスにも闇の部分があるのだと思う。
 日本はすっかりクリスマスを受け入れているが、ハロウィンはなかなか受け入れられない。それはこの国が伝統的に保守的で、「なんでもあり」なハロウィンを取り入れるのを恐れているからだろう。逆にクリスマスは(一見)無害で受け入れやすく、商売上手な日本人にとってクリスマス商戦などはうってつけだ。しかしこれでは、クリスマスの明るい部分だけが取りざたされているように見える。そればかりを取り入れるくらいなら、ハロウィンを受け入れたほうがいくぶんマシではないだろうか。物事には常に光と闇の二面がある。ハロウィンというイベントを通じ、闇の部分をクローズアップして体験してみるのも大事ではないだろうか。
 たしかに人には住むべき場所があって、お互いに受け入れがたい部分というものがあるのかもしれない。しかし何より大事なのは、自分とは異なる世界というものも確かに存在するのだということを改めて認識してみる姿勢ではないだろうか。ジャックがイベントの違いという垣根を越えて、好奇心たっぷりに行動するさまは、ハロウィンよりも、クリスマスよりも美しいものとして僕の目に映ったのだった。
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 で、今までのは全部前置きだったんですが(おい!)、それはまあさすがに嘘ですが、実は僕もここ最近、クリスマスでいやな目に遭って、それでこんなアンチクリスマスな感想を延々と書き連ねてしまったわけです。この間、近所の某コンビニに立ち寄ったんですが、そこのドアにクリスマスの飾り付けがしてありました。そしたら何かの拍子にドアを開けそこねて、その飾りに顔面ぶつけてしまったんです。
 なんたる醜態、とは言わせません。僕は被害者です。クリスマスはそれで僕に何を伝えようとしたのかよくわかりません。ただ僕にわかることは、僕はクリスマスに拒否されたということです。それこそ、クリスマスタウンに砲撃を受けたジャックのごとく。僕は猛烈にジャックに共感を覚えました。覚えてろよ、クリスマス。覚えてろよ、セブンイレブン。幸せなクリスマスなんか絶対過ごしてやらないからな。今日は飲んでやる。飲んでやる。

         それでもやはり来年こそはと思ってしまう鈴木
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by chuoeiken | 2005-12-24 16:13
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