Mr.&Mrs.スミス
b0040244_0175671.jpg とにかくカッコいい映画。主役の二人が、これ以上にないほどキマってる。ただ、ちょっとカッコよすぎます。
 今作の監督ダグ・リーマンは、「ボーン・アイデンティティー」で、押さえ気味のアクションで、スタイリッシュで緊張感ある演出を見せていた人だ。僕は、そんな反ハリウッド的でストイックな「ボーン~」がとても気に入っていた。だから、今作のような派手っぽい映画をその監督が演出するのは、意外であり心配だった。
 監督の演出は、安心したというか相変わらずストイックなものだった。ただ、あまりにストイック。アクションはさることながら、ギャグまでスタイリッシュでストイックだから劇場内が静まり返ってたな。だから、アンジーが突然あんな格好しちゃっても、笑っていいのか驚いていいのかもうどうしていいのかわからない(観ればわかります)。
 アクション大作を期待したらいけません。これは、くすっと笑える大人向けのお上品なセレブ映画と割り切ることです。だから僕には合ってなかったかな…

ネタバレないです
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# by chuoeiken | 2005-12-06 01:21 | アクション
殺しの烙印
b0040244_14165072.jpg これは、すごい。観たら驚きます。観たほうがいいです。

 今まで僕が観た中での鈴木清順映画ナンバーワンであり、おそらくランクは変わらないだろうこの映画。邦画が苦手だと思っている人でも観られるはずです。全然邦画っぽくないから。むしろ、邦画が苦手だと思っている人にこそウケるかな。
 全然根拠はないけど、ゴダールの「気狂いピエロ」という映画を思い出しました。構成的にも、雰囲気的にも。フランス映画と邦画って、根底にある美学はすごく似ていると思うけど、その違いは、それを自由に表現出来るか出来ないかだけなんだと思います。その意味で、この映画はものすごく自由。邦画の域をとっくに超えてます。そのおかげで清順翁は映画会社をクビになったそうですが。お国柄ですな。

 あまりこの映画について語りたくありません。しゃべるたびに減ってしまいそうで。あまりにこの映画が広すぎて、とてもしゃべりきれないというのが本当のところですが。
 これはぜひ、皆さんの感じるままに観てください。監督にだって理解できないんだろうから。昔の人が言っていたように、「飯の炊けるにおいにウットリする宍戸錠を理解するために、清順である必要はない」のです。
                            鈴木
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# by chuoeiken | 2005-11-27 15:10
クライシス・オブ・アメリカ(監督ジョナサン・デミ、米、05年)
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 現代の最先端の問題を扱った映画である。この作品は「サイボーグ」技術がどれだけの進歩を遂げているか知らないと、中途半端なSFが入った政治映画ではないかと勘違いしてしまう可能性がある。今や本気でアメリカは、着ると兵隊の能力を10倍にする殺戮兵器を開発しようとしているのである。
 今の段階でも、脳にプラグをつなぎ動かなくなった腕の代わりに、義手を考えるだけで動かす事ができる様になっている。ラットの脳に電極を繋ぎ、快楽中枢を刺激し、脳をコントロールする事によってラジコンの様に自由に動かす事ができる技術まである。それらの技術を脳=機械(コンピューター)・インターフェースという。さらに驚くべきは海葉チップである。記憶を司る海葉に似た構造を持つチップを作り、それを何十枚も重ねるのである。そのチップを人間の脳に埋め込むと(そのチップ内にあらかじめ情報を入れておいて)、とてつもない記憶を持った人工的天才が誕生するというわけである(実際に使われているかは不明)。また海葉チップは交換も可能であるらしい。すぐそこに、浦沢直樹の『PLUTO』の様な世界が来ようとしているのである。
 以上の様な知識を前提に映画を観ると、迫力が何倍にも増して見えるはずである(ジョナサン・デミ監督のサスペンスというだけで十分に面白いが)。『クライシス・オブ・アメリカ』は明らかに、戦争や政治そのものに焦点を当てた作品ではない。コンピュータ・インターフェースがこれから一体どんな問題をはらんでくるか想定し突き詰めた作品なのである。
 恐ろしい映画である。本当にアメリカは、この技術を軍事利用し始めたら(もう利用していたら)どうなるのか想像するとゾッとしてしまう。唯一の希望は、操られ続けた男がなんとか抵抗を見せたことだ。人間の根底を操れるのか、操っていいのか?何はともあれ、これからの世界を予言した映画である事は間違いない。                   

                       
                  三橋 慶太
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# by chuoeiken | 2005-11-26 16:16 | 社会派ドラマ
イージー・ライダー
b0040244_0425328.jpg はっきり言って、眠い映画。確かにすごく雄大な自然が爽やかなんだけど、デニス・ホッパーの自己満足のようで、この映画のノリについていくのは難しい。
 しかしである。この映画はラスト15分からが本番だ。この映画のパッケージからは想像できない世界が確実に待っている。観ながら寝たっていい。15分前にちゃんと起きれば。
 ラスト15分前にようやく始まって、突然終わってしまう。そんな感じの映画。「ボーイズ・ドント・クライ」に似てるな、とも思ったけど、いや、やっぱり何にも似ていない映画。こういう映画を撮ろうという意気は、出そうとして出せるものではないな。

ネタバレ気味です
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# by chuoeiken | 2005-11-17 01:51
コンスタンティン
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 簡単にまとめちゃうと、ヘビースモーカー役のキアヌ・リーブスが銃でタバコの箱を吹き飛ばすと、画面いっぱいにドドーンと「喫煙はガンや心臓病の原因となります」のメッセージが映し出される。「コンスタンティン」はそういう映画。えぇー?
 いい意味で変な映画だった。この映画が独自の世界をつくってくれたおかげで、観ている間キアヌが「マトリックス」のイメージと重なることはほとんどなかった。
 ただ、いまひとつこの映画のノリについていけなかった。ギャグなのかシリアスなのかいまいちわからなかったのだ。
 それにしても、ここまでタバコの描写やラブシーンの排除にこだわる映画は観たことがない。思わず笑ってしまう。だからこれはギャグ映画だと捉えて観るのが正しい。たぶん。

ネタバレしてます
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# by chuoeiken | 2005-11-13 16:18 | ホラー
ベルヴィル・ランデブー(監督シルバン・ショメ、フランス=ベルギー=カナダ、02年)
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 この映画にはセリフが殆ど使われていない。多くの作品とは比べようもない位、豊かな登場人物の個性を「絵」だけで表現しているのである。『ベルヴィル・ランデブー』は、昨今のセリフによる説明型映画のアンチテーゼともいうべき作品なのである。
 主人公は、老婆である。両親不在(何故不在かを観客に想像させようとしている)の家で、孫と生活している。何も喋らない孫に、老婆は孫を観察し好きなことを発見しようとする。実写で描いたら暗くなってしまいそうな物語を、個性的な絵で淡々と特異なキャラクターを描いている為、明るい「面白さ」があるのである。アニメーションとはかくあるべきか、と思わせる秀逸な演出が光っている。特筆すべきは、セリフを徹底的に省いたことである。その演出により、登場人物の「動作」が強調されているのである。各登場人物の行動は突飛ではあるが、動作にはリアリティがある。そのギャップが、この作品をずばぬけて面白くしているのである。
 本来、映画の面白さは「動き」の面白さに比重を置き、ストーリーやセリフを観客に想像させる点であった(トーキー映画時代までは)。ところが映画に音が入るようになってから、登場人物の「言葉」に多くを頼りながら物語を作るようになってしまったのである。この作品は「動き」の面白さを存分に取り入ている。もちろんそれだけではなく、ストーリーも秀逸でありセリフ以外の「音」の完成度も高い。ここまでのレベルに達した作品を、面白くないと言う人がいるのだろうか。

                      三橋 慶太
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# by chuoeiken | 2005-11-08 13:28 | アニメーション
八月の狂詩曲(監督黒澤明、1991年公開)
 
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「映画」とは何か?という問いの答えのヒントが、この作品の中にある。音と映像とストーリーがマッチした瞬間、映画は他の芸術では成し得ない現象を生み出す。その現象の意味が『八月の狂詩曲』で、分かりやすい形で明示されているのである。
 主人公は、長崎の原爆を経験した老婆である。老婆とその孫を通して、物語は進んでいく。老婆にアメリカに住んでいる兄がいることが分かる。その兄の子で老婆の甥に当たる男が訪ねてくる所から、この物語の「意味」が分かり始める。すなわち、老婆の心の奥底に秘めた感情が明らかになっていくのである。とても、悲しい映画である。老婆は全てを認め、許しているかのように思われた。しかし、「ミタ」人間にしか分からない本当の悲しみは消すことが出来なかったのだ。その悲しみが、映画でしか表現できない形で溢れ出てくるのである。
 黒澤は原爆に対して若いころから、老年に至るまで怒りを抱き続けていたようである(『生き物の記録』、『夢』を観ればそれが分かる)。『八月の狂詩曲』で静かに爆発したその怒りは、このまま原子力を使い続ければいつか人間を滅ぼす、という認識からきたのであった。
                   三橋 慶太
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# by chuoeiken | 2005-11-08 13:23 | 社会派ドラマ
アバウト・シュミット(監督アレクサンダー・ペイン、米、02年)
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「生きている」という事は孤独である。普段、多くの人はそのことを感じない。しかし、大切な存在を失ったとき本当の孤独に直面するのである。『アバウト・シュミット』は、その「孤独」と真正面から向かい合った映画である。
 主人公は生命保険会社を定年まで勤めたシュミット氏(ジャック・ニコルソン)である。ある日、最愛の妻を失い平穏に思われた生活の歯車が狂いだす。シュミットとという人間の本質が、「1人」になる事であぶりだされてくるのだ。その描きかたが、あまりにリアルで皮肉たっぷりな為に、笑わないで観ることはほとんど不可能に近い。しかし、シュミット氏をそれだけリアリィティを持って描けるのも、ジャック・ニコルソンという怪優の存在があってこそである。誰にでも思い当たる節のある生活のディティールを、見事に演じきっているのである。その名演によって、シュミットという酷く情けない男に、情けない男だからこそ感情移入してしまうのである。
 誰もが孤独を抱えて生きている事を教えてくれる映画である。しかしこの作品を傑作にしたのは、ほんの少しであっても誰かと気持ちが繋がっている事の喜びが、ひしひしと伝わってくるからである。                                               
                   三橋慶太             


                     
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# by chuoeiken | 2005-11-08 13:08 | ヒューマンドラマ
遊星からの物体X
b0040244_0493964.jpg まったくの私事だが、僕が小さいころ持っていたレンタルビデオのカタログの中で、紹介文やパッケージの写真を見るだけで震え上がっていた映画が何本かあり、その筆頭がこの映画だった。そして、この映画を観ないことには、自分は決して大人の階段を登れないだろうと一人で勝手に決めていたのだった。

 と、例によって大げさなフリから始めてしまったが、観た印象としては、意外なことに怖いでもなく、グロいでもなく、美しかったのだ。物体Xの触手が勢いよくビチビチとうごめくシーンや、物体Xが人の姿をしながらも、人ならざる奇声を発しつつ炎に包まれるシーンなどは特に不思議な情感に満ちていた。
 この映画はとにかく人が焼かれる。それがなぜか美しい。炎には攻撃的な面があれば浄化の作用もあるのだ。炎にそういった二面性があるように、観ている間、観客の二面性も浮き彫りにされる。この映画で描かれる特異な事態のもとでは、無駄なヒューマニズムを語る人物よりも、アンチヒーローであるはずのマクレディにいつの間にか肩入れしてしまっている。倫理観の喪失だ。人は、置かれた状況によって容易に価値観が変質してしまう。まるで物体Xの変身のように。
 この世の生物はいくつもの種を淘汰し進化してきた。寄生し、同化し、仲間を殖やす。陳腐な言い方を許してもらえば、物体Xはまさに「生きもの」そのものなのだ。決まった形を持たない物体Xは、その時々の環境によって形質を変えてきた生物の縮図なのだ。
 正解のないこの世において、人は決まった形を持たない。どんな姿にもなりうる。自分のよく知っているあの人は、本当にいつでもあの人なのか?いやそれ以前に、自分は本当にいつでも自分なのか?残念ながら、それは誰にもわからない。

 最後にまたまた私事だが、この映画を観て僕は成長できたかというと、あれほど恐れていたこの映画を美しいと言うことが出来たし、まあ、成長と言えなくもないでしょう(投げやり)。炎に包まれる人間の姿を美しいと感じてしまった奴に成長という言葉を適用できるなら、の話ですが。
                            鈴木
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# by chuoeiken | 2005-11-07 01:51 | SF
遥かなる山の呼び声(監督山田洋次、1980)
 
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 メロドラマかもしれない、人情ドラマに過ぎないかもしれない。だが、山田洋次の「遥かなる山の呼び声」は傑作である。出演は高倉健、倍賞千恵子、吉岡秀隆。彼らの魅力を存分に発揮し、その「くさい」ドラマに説得力を与えている。ハッピー・エンドが陳腐に思えるのは、登場人物の心の深遠や、人と人が触れ合う温もりをしっかり描けていないからである。
 北の国というシチュエーションが、無駄なものを省かせ、本質的な事を見つめさせるのだろうか。この映画は、物語はシンプルでテーマは極めて本質的である。すなわち山田洋次がどの作品でも一貫して描いているテーマ、「幸せとは何か?」という問いかけがよりストレートに伝わってくるのである。男と女が心に抱えている闇を語ったとき、それすらも互いに受け入れたとき2人は「夫婦」になったのだ。よくある話に思われる。だが、この作品がほかのそれと違うのは脚本であり、役者であり、場面設定が素晴らしい点である。
 今の日本映画が失ったものが、この作品にはある。最近の映画は、なんでも「汗」をかかないものが多い。登場人物に「生活感」がないのである。生きているという事は、もっと生々しい事のはずである。それは極めて本質的なことである。「汗」かく映画は、現代人にも響くはずなのである。「生活感」がある映画にこそ、本当にしみじみとした「感動」がるのである。
                  三橋 慶太
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# by chuoeiken | 2005-10-31 16:31 | ラブストーリー



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